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ホーム > 沿革 > 第8回 新しい波を乗り越えて (2004年4月)

沿革-タイルメント50年の歩み

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新しい波を乗り越えて

現在の社章
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昭和60年代日本経済は紆余曲折を繰り返しながらも急成長をとげ、建築業界にもあたらしい波が生まれた。
大型公共事業がめじろ推しで、東京ド-ムを始めとして多目的ド-ムの建設、サンシャイン60、東京都庁、幕張新都心、横浜MM21、その他、200mを越す超高層ビルが次々計画され、地価の高騰、株の高騰(平成1年12月29日 38,915-)へと進んでいった、しかし平成3年にはバブル経済が崩壊、日本経済は其の後遺症から今だ脱却できずにいる。

当社は堅実経営をモット-とし本業以外には目もくれず、製造、販売における基盤整備と研究開発に専念して来た。営業本部制の設置による戦略、戦術強化、昭和58年から始まった第3次企業体質強化計画の推進、新商品開発促進委員会と矢継ぎ早の対策が打ち出され、売上伸ばしてきた。そして、さらに新しい時代を乗り切るため製造・販売とそれぞれ役割分担してきた組織を一本化し、より強固に市場の要望に対応できるように合併することになった。昭和63年4月、新会社の株式会社タイルメントがスタ-トしシンボルマ-クも一新した。

昭和64年1月には昭和天皇崩御され元号が平成と改元された。新しい時代を迎えた当社は、将来への布石を打つべく海外への進出を図った。平成年5月タイに「タイルメントタイランド」を設立。アンカ-ピンの生産を開始した。又、国内でも同年9月に「(株)タイルメントテック」、平成3年9月に「(有)タイルメントパック」、平成9年に「(株)イイズカタイルメント」と関連会社を設立。強力なグル-プが形成していった。

一方、研究開発においては安全・環境問題がクロ-ズアップさがれ、ホルマリン、アスベストの使用が制限されるようになった。そこでアスベストからの他の充填剤に切り替えたり、ホルマリンを全廃するなど、他社に先駆け実施するに至った。また工法開発では特殊不織布を基材にしたBTシ-ト工法、特殊粘着両面テ-プ、接着剤併用のT.・T工法、石材施工用EPSシリ-ズなど施工現場における省力化、安全化に寄与。昭和64年には日本接着剤協会から内装陶磁器質タイルの接着工法導入に対し「技術賞」受賞するという栄誉に輝いた。

こうした全社一丸の取り組みにより平成2年には過去最高の売上高を達成した。
平成4年8月には小林哲夫が代表取締役社長に就任。40年近く続いた創業者、小林盛人、中林信二のコンビから、若いリ-ダ-小林哲夫にバトンタッチされた。新体制での方針は効率経営、能力主義、適材適所、新技術・新事業・新市場の開発、等、国際化に向けての取り組みがスタ-トした。

製・販 合併

昭和63年4月21日日本タイルメント株式会社とタイルメント株式会社が合併し、株式会社タイルメントに1本化された。両者の資本金は各60.0万円だったが、合併後の資本金1億2000万円を9,800万円に減資してスタートした。
新会社は「人間環境の向上に貢献する」を企業理念に、

創造(CREATIONN)
挑戦(CHALLENGE)
協調(COOPERATION)

の3Cをスロ-ガンに掲げた。

同時に新会社のイメ-ジを刷新するためシンボルマ-クの社内公募し(232点応募)、大垣工場の土井克己さんの案が採用され現在のマ-クが決定した。
合併を記念し社内外で行事が予定され昭和63年5月17日 名古屋.・ホテルナゴヤキャスル、昭和63年5月23日東京・ホテルオオクラにおいて各界の名士、取引先の方々をお招きして新会社発足披露が盛大に行われた。歌手の故笈田敏夫氏が司会をつとめパーティに華を添えた。

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