名古屋工場完成 タイルメント30周年誌より(36年6月)
伊勢湾台風に直撃され大きな被害を受けたがこれを契機にして本格的な工場を建設すべしという気運が社内に高まってきた。
借り物の敷地、借り物の工場ではなく、自分たちの手で工場建設をという願いである。
社内でも真剣に検討され、思い切って新工場を建設しようという方針が固まってきた。
メインバンクの三菱銀行さんの紹介もあり、甚目寺町に710坪の土地を入手した。
昭和34年7月のことである。当時甚目寺町は工場誘致に積極的で有力者の方々の多大な協力を得た。
話はとんとん拍子に進んだ。土地といっても田んぼであったため2メートルも埋め立てをしなければならなかった。名古屋工場の創業開始は昭和36年6月である。
当時の人員は17人であった。
テレビで接着剤をPR
- 現在のEP-1000
昭和36年2月大阪営業所、所長川上皓一郎が毎日テレビに出演。
身近な生活を紹介するモダンリビングという番組の中で「接着剤を使って」というタイトルでエポキシ樹脂系接着剤「タイルメントEP-1000」を紹介。使い方、性能等について解説しながら陶磁器製品や木工製品の補修実演を行った。当時はまだ二液型のエポキシ樹脂が認知されていない時代のことであったが、テレビで放映されたことで一躍脚光を浴びた。
エポキシ樹脂系接着剤「タイルメントEP-1000」は現在も尚健在である。
社内誌「友和」の創刊
- 社内誌「友和」No3号表紙
昭和37年7月それまでの社内誌「社内ニュース」に変わって「友和」が発行された。
第1~3号は相変わらずガリ版刷りである。
その中から2つの記事を抜粋する。
「昭和37年に於けるタイルメント施工現場名」の記事では著名な建造物に次々と接着工法が取り入れられているのが非常によく分かり、当時の技術及び営業の頑張りがうかがえる。
- 第1回
- タイルメント誕生
- 第2回
- 社内誌誕生
- 第3回
- 名古屋工場完成
- 第4回
- 技術研究所完成
- 第5回
- 大垣工場完成
- 第6回
- 大垣工場に集約・増強
- 第7回
- お稲荷さん
- 第8回
- 新しい波を乗り越えて
- 第9回
- 新時代への挑戦 社会との共生
- 第10回
- ISOへの取組み
- 第11回
- コンピュータ への取組み
- 第12回
- 年表
