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沿革-タイルメント50年の歩み

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タイルメントの誕生

創業当時の千代田町工場兼事務所の写真
創業当時の千代田町工場兼事務所

タイルメントの創業はまったくの「無」から始まり、今日のベンチャ-の申し子みたいなものでした。

戦後の昭和26年まだ渡航がままならぬ時代、創業者である故小林盛人はタイル売り込みにアメリカへ渡り、南米、北米と商談を続けながらニューヨークにたどり着きました。その繁栄に目を見張りながら、あちらこちらの建築現場で、タイル、大理石等、内装材を黒いネバネバ(名称・ミラクルグル-)したもので施工をしているのに出会いました。このネバネバに興味を引かれ、職人に聞いてみると接着剤だと言う。故小林盛人は瞬間的にこれは「モノ」になるとひらめき心が躍ったそうです。日本では建築分野での「接着」という概念はなく、もっぱらセメント、釘などに頼っていた時代だったので、これからの日本でも普及すると確信したとのことです。

帰国した故小林盛人は故中林信二(旧 社長)を誘い、2人3脚で研究を開始しました。故小林盛人 当時35歳、故中林信二 当時29歳のときでした。

もともと化学にあまり精通していない2人でしたが、縁あって故井上正男(当時名古屋市工業研究所課長、後の当社専務))を知り、協力を得ながら約2年の歳月をかけて商品化に漕ぎ着けました。

昭和28年10月名古屋市千種区春岡通に特殊陶紙(株)として登記したが、すぐに翌年2月に社名変更で日本タイルメント(株)として実質的なスタ-トを切りました。

販路もなく、資金もなく、技術者もいないという中での誕生でした。

最初の工場は千種区の春岡通の借家でした。工場というより試作場という程度のものでした。悪戦苦闘の末、昭和29年夏頃には製品化の目途が立ってきました。

最初の仕事は名古屋にテレビ塔が建築されるときでした。事務所の天井に吸音板を張る工事を依頼されましたが、工期が短く3日間での仕上げの要請を受けて施工することになりました。まだ実績も経験も無かったが「T-100」で故中林信二が徹夜の連続で何とか約束通り仕上げることができました。 この施工が竹中工務店に評価され、後々の業務拡張の要因となりました。

その後昭和31年には、名古屋駅前の毎日ビルでリノタイルを張る工事があり、他社が松ヤニで造ったノリで施工したが、どうしてもタイル突き上げが収まらなかった。担当者が困っていたところへ故小林盛人(当時専務)が酢ビベ-スの床ノリを売り込みに行った。施工実験したところ、突き上げも無くピッタリ収まり全面採用となり、矢継ぎ早の注文が来て生産が間に合わないほどになった。名古屋豊田ビル、名古屋中央郵便局ビル等の工事には床材メ-カ-各社の担当者が見学に訪れ、性能の良さが認識された。この事がまた飛躍のきっかけとなった。

創業して4年目(32年1月)にして名古屋市熱田区千代田町に社員10名で熱田工場の立ち上げが出来た。ようやく会社らしくなってきた。

神武景気といわれた昭和33年9月には生産と販売を分離(タイルメント販売株式会社、日本タイルメント株式会社)して新たな挑戦が始まった。また別法人であった東京、大阪の販売会社が統合してのスタ-トになった。翌年9月伊勢湾台風により熱田区千代田町が水につかり、壊滅的被害を受けた。生産もストップしたが、全員必至の復旧作業の末、約2週間で製品出荷を果たし、お客様の信用を高める結果となった。

この台風を機会に工場移転の機運が高まり、2年後の36年6月海部郡甚目寺町に工場が完成して、営業、生産における基盤が整ってきた。

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